10年前にアタシが先代犬を失った時、まだペットロスという言葉は
浸透していなかったと思う。
当時OLだったアタシは泣きはらした酷い顔で出社し、周囲の人を驚かせた。
60過ぎた上司には、ペットの死でここまで落ち込むアタシを理解する
ことは出来なかったんだろう。
(たかがペットで?)という驚きの表情があったのを見逃さないアタシ。
落ち込んでいるくせに、意外と冷静に人間をチェックしていて我ながら怖い。
今は10年前に比べ、ペットを亡くしたと会社を休む人だっているだろう。
どうかその人達に冷たい視線を向けないで欲しい。
「たかがペット」と言われる立場でも、飼い主には「愛する我が子」だから。
ペットロスから鬱病を発症なんてコトも、珍しいコトではない。
アタシの場合、自分が思っているより打たれ強い性格のようで、
いつも周囲をヒヤヒヤさせるどん底になりつつも、
精神的には至って健康で、体力が戻れば自力で底から這い上がる。
きっと、サバイバルに強いかもしれない(言い過ぎ)。
ペットとの別れが2度目ということもあるかもしれないが、
今回のペットロスは、思いのほか、早く立ち直れそうだ。
ペットロスに「慣れ」はない。
でも、以前の経験から学ぶ事は多い。
アタシが先代犬を亡くして以後8年も犬を飼えなかった最大の理由は
「後悔」があったからだ。
やってあげれたコトがたくさんあったのに、
やらないでお別れしてしまった。
この「後悔」があった為、先代犬には「ごめんね」という気持ちが大きく、
なかなか次のワンコをお迎えする気になれなかった。
なのでロッタをお迎えする時にあたり、この間違いは2度と犯さないように
気をつけて生活してきた。
自分が出来る範囲で、ロッタには満足いく生活をさせてきたつもりだ。
だから「やれるコトは全部やった」と思える。
ロッタの死は悲しいけれど、後悔はない。
だからこそ、今すぐにでも「犬が飼いたい」と思えるのだろう。
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犬がいない生活は、はっきり言ってつまらない(笑)
また丸太がウロウロする六田家を取り戻したい。
しかし、6月からはなさんは保育園へ行くことになり、
アタシはまた、以前の職場へ復帰することが決まった。
すこし生活が落ち着いたら、また愛犬探しを始めるつもりだ。
運良くロッタの生まれ変わりを見つけた時には、
また日記を綴るつもりだ。
ロッタの四十九日が終わるまで、このブログも続ける予定だ。
もう新しいロッタの姿をお見せすることはないけど、
元気な頃のロッタでお別れしたいので、
笑顔の写真を載せておしまいってことにする。
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